初めて感じた痛み。
私は、草野球をやっていた父親の影響で、幼いころから野球をやっていました。
父親の休みの日には、いつもキャッチボールをしてもらった記憶があります。
小学校になり、5年生から部活に入り、毎日練習、試合に明け暮れていました。
そんなある日、練習中にボールを投げたとき、右ひじに激痛を感じました。
今まで感じたことがない痛みだったのですが、2,3日ボールを投げないと痛みはほとんど収まっていました。
しかし、毎日練習をするうちに、痛みを感じる回数が多くなり、数日ボールを投げないことで収まっていた痛みでしたが、6年生になる頃には、投げるたびに痛く、ついには、朝、洗面台で顔を洗うのも苦痛になってしまいました。
整形外科にて。
レントゲンを撮ってもらった結果は、、、野球肘(内側上顆炎)とのことでした。
安静にする、湿布を貼る、そんな日々が続きました。
1か月ほど通院をしたのですが、ボールを軽く投げるだけでも激痛が走り、もう野球をやめないといけないないんじゃないかと途方に暮れていました。
そんな時、母親が私が幼いころ行ったことがある接骨院のことを思い出してくれました。
わらをもすがる思いで行った接骨院でも病院で言われたように野球肘だから、しばらく施術に通いなさいとのことでした。
ここも同じか、、、
そんな諦めというか不安を抱えたままの通院でした。
ただ、病院と違ったのは、先生がいつも肘を触ってくれるので、なぜか安心して、すごく軽くなったのを覚えています。
記憶があいまいなのですが、特別な施術をされた記憶はなく、肘のあたりをさすってくれていただけのような気がします。
それでもどんどん良くなっていったので、不思議な感覚でしたし、施術というもののすごさを感じました。
また、同じ痛み、、、
2か月ほど、その接骨院に通院し、ボールを投げても痛みがでなくなり、小学校での野球はすごく楽しいものになりました。
中学、高校も野球部に所属し、結構無茶をして練習していたので、肘や肩は痛みを感じることもありましたが、何とか、高校卒業までやりぬくことができました。
大学でも野球部に入り、練習が始まった時、
「痛っ、、、」
ボールを投げた瞬間に、小学校の時と同じ痛みでした。
「またやっちゃったか」
小学校の時と同じ、野球肘でした。
以前治してもらった接骨院は移転してしまっていて、通うことができなかったので、違う接骨院に通っていました。
ただ、以前と同じように痛みが引きませんでした。
野球部に入ったばかりで、なんでボールが投げられないんだ、やり場のないイライラと同時に、自分の情けなさを感じていました。
その間、野球ができず、かなりつらい思いをしました。
良い接骨院があると聞けば、県外にも出ていき、通いました。
ただ、なかなか症状は変わらず、接骨院を転々とする日々が続きました。
何件行ったでしょうか。
友人に紹介された接骨院にダメ元で飛び込みました。
そこでも同じく野球肘と言われ、「ここも同じか。」と思ったのですが、施術後に久々に肘の軽さを感じました。
どこへ行っても同じだった肘の状態が良くなるんだと実感できた瞬間でした。
それから何度か通い、すぐに完治はしませんでしたが、好きな野球を再開することができました。
身体の状態の詳しい説明やセルフケアも熱心に教えてくれ、親身になってくれた姿を鮮明に覚えています。
その時は、まさか自分がその道に進むとは全く考えていませんでしたが、困った人に希望を与えられる仕事って、すごいなと感じていました。
その後・・・
肘の痛みにそれほど悩まされることなく、無事、大学を卒業するのですが、商社の営業という、治療業界とは全く関係のないところに就職することになりました。
そこでも草野球を続けていたのですが、日ごろの不摂生もたたり、また、肘を痛めてしまいました。
今度は野球ができないだけでなく、仕事にも支障が出るほどでした。
あわてて、大学の時にお世話になった接骨院に駆け込みました。
そこで治療を受けながら、なんとなくこの業界のことを質問してみました。
その先生は、ご自身の思いを熱く語ってくれ、こんなやりがいがある仕事はない、天職だとまで言っていました。
子供のころから、漠然とすごい仕事だなあとは思っていましたが、先生たちの話を聞けば聞くほど、どんどんこの業界への興味が強く
なってきて、気が付けば、自分でも色々と調べるようになっていました。
施術の度に、私が先生に色々と質問するので、「そんなに興味があるなら、こんな資格、学校があるよ」と勧めてくれました。
現在の仕事も非常にやりがいはあったのですが、この仕事は、
・自分自身、いままでの肩や肘の痛みを治してもらったことから施術効果は信頼していたこと
・勧められた柔道整復師は国家資格で、努力次第で、自身で開業でき、院を構えることができること
・何より、この仕事にやりがいを感じることができること
などの理由で、稲沢の中和医療専門学校に入学を決めました。
その当時、すでに結婚しており、2歳の子供もいました。
そんな勝手な決断に文句も言わず、ついてきてくれた妻には本当に感謝しています。そのおかげでこんな素晴らしい仕事に出会えたので。
今思い返しても、よくそんな決断をしたなと自分ながらに驚いています。
勉強、修行の日々。
専門学校に入学すると同時に、接骨院でアルバイトをしました。
全く初めて触れることばかりでしたが、どれも新鮮で夢中で勉強、技術の練習に没頭しました。
接骨院でのアルバイト後、毎週、日付が変わるまで技術練習をしていました。
本当に頑張った3年間でした。今までで一番の頑張りだったかもしれません。
技術はもちろん、接客なども含め、今の私の基礎を作ることができた3年間でした。
その院の院長、諸先輩や同僚には本当に感謝しています。
その甲斐あって、専門学校を卒業と同時に国家試験にも合格し、柔道整復師となりました。
この3年間で、改めて、やりがいを見つけることができ、一生をかけて、やりぬくことができる職業に出会うことができました。
もちろん、国家資格を取ることはゴールではなく、やっと第一歩を踏み出したにすぎず、そこからが本当に大変でした。
なかなか痛みが治らない、悩みを改善できず、患者様の期待に応えられない日々が続き、悩んでばかりいました。
もちろん、そんな簡単なものではないのは承知していましたが、患者様の笑顔や「楽になったわ。ありがとう。」
この一言でいつも救われていました。
ありがたいことに、修行先では、本当に様々なことを教えていただきました。
技術はもちろんですが、施術家である前に人間性を磨かなくてはならないこと。
一人の人として、患者様に信頼される重要性など。
今の私の基礎になっている部分はこの接骨院で学ばせていただきました。
独立した今でも本当に感謝しています。
そんな中、日々、施術に当たる中で、いつも私の頭にあったこと。
それは、自分の院を持ち、開業することでした。
様々な経験を積んで行く中で、今まで考えていた自身の思い描いた接骨院像が徐々に固まってきました。
患者様の悩みは様々です。
肩や腰の痛みをはじめ、スポーツでのケガなど全身の症状に対応できる知識、技術を備え、できるだけ幅広く、できるだけ多くの方のお力になれる、院に来ていただくことで、明るく、元気になっていただける院。そんなイメージです。
いつまでも変わらぬ気持ちで専門学校に入って8年後、本当に多くの方々に支えられて、2014年6月に千種区本山にソレイユ接骨院本山を開院することができました。
「ソレイユ」とは「太陽」を意味しています。
太陽は分け隔てなく、無償で明るさや暖かさを皆さんに届けてくれます。
この地域の方々を明るく、暖かい光で照らしたい、そんな思いが院名には込められています。
微力ながら、少しでも多くの方々の健康のお手伝いをすること、お悩みを解決するお手伝いをすること、そして、皆様が笑顔になっていただけるように、初心を忘れず、施術をさせていただきたいと思っています。
今後も、知識、技術の向上も忘れず、常に成長していくと共に、皆さんに頼りにされる人間でありたいと思います。